精神科の先輩曰く、何年も精神科医として外来をしていると、人によってカラーが出てくるらしい。合わない患者さんは自ら去って行くので、似たようなタイプの患者さんが残っていくのだそう。
自分としては、患者さんと向き合う中で、確かに、相性が悪そうだなと思うこともあれば、すごく波長が合うなと感じることがある。でも、皆に共通しているのは、困った末に自分の前に辿り着いているはずであるから、まずは、よくぞ来てくれましたと労いの気持ちで接するように心がけている。
特に卓越した診療技術や知識も持たない自分ができるのは、ただ一生懸命さを伝えることだと思う。「あ、この人、自分の困りごとに興味ないんだな」と思わせたのだとしたら、信頼感は薄れていくだろうし、どんなキレキレのアドバイスも、もうその人には届かないだろう。
逆に、色々と力不足が露呈し、患者さんに不安を与えたとしても、「あなたのことを一生懸命考えている」という雰囲気が、患者さんに伝わっていたとしたら、その人はなんとか通い続けてくれるのではないだろうか。
強いて自分の診療スタイルを言葉にするなら、『泥臭く、できる範囲で、一生懸命に』だ。今作った。すごく不格好だが、まあ今の自分にお似合いなのかもしれない。
今のスタイルの基盤は「来てくれるだけで、ありがたい」という糖尿病の患者さんを診察する憧れの先生が言った言葉が強く影響している。
たとえ、「甘い物食べてません!」「薬ちゃんと飲んでます!」とか本当のことを言わなかったとしても、診察に来て顔を見せてくれることが大切だと教わった。もし、患者さんを責めてしまい、次から来なくなってしまったら、異変に気づき早期介入できるチャンスを失ってしまう。結果として、足を切断しなければならなくなった糖尿病の患者さんもいるはずだ。
今でも、「合わないかも」「苦手かも」という思いが診察場面で少しでもよぎったときには、いつも「来てくれるだけで、ありがたい」に立ち返るようにしている。ざわつく心が、いくらかフラットになり、先入観なく患者さんと向き合える気がするのだ。
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